組長の徒然なるままに

北関東の極一部でその名を轟かす硬派ヨンク使いの会、恐怖の六年二組を主宰する組長の極フツーの日常やその偏見入り左脇えぐるよな視線で見つめた社会の風景を語る門外不出の赤裸々日記。

11年前の夏

九州の方は大雨による水害が深刻なようです。
道まであふれた泥水、土砂に埋まる家、流された車などがニュースで画像が流れる度に、98年の那須の水害を思い出します。
ワタシは運よく直接の被害はありませんでしたが、周りの多くの人達が様々な被害に遭われました。
その時の、現場のむせ返る土の臭いと生臭いような増水した河の臭いが今でも蘇ってきます。


あの日、ワタシはいつものように朝800にアパートを出て出勤しようとしていました。
雨は昨晩より強く降り続けていましたが、まさか河川が氾濫しているとは夢にも思っていなかったのです。
いつものように慌ただしくサファリのエンジンを掛けて出発しました。
ちょっと雨が降ると溢れてしまう田んぼの用水路脇をジャバジャバと進むのは、サファリにとってはとてもた易いコトです。
いつもと違って県道に出ても道路から水が切れませんが、そんなことよりも今日の仕事の方が気になっています。
この雨続きで延び延びになっている測量仕事を、そろそろどんな状況でもヤラねばならないぐらいに切羽詰まっていたからです。
運転しながら同僚に電話します。この雨ではどんな合羽を着てても着替えが必要だと思って、その用意の有無を尋ねたかったのです。
トコロが繋がって開口一番、「ダメだよ!何か事故みたいで混んでて橋が渡れない!」という悲痛な叫びが。
しかもいつもは100キロ/h出しても後ろから突かれるような広域農道が大渋滞。その先の橋が渡れないのですから先を塞がれた形になっているのです。

少々困惑はしましたが、ワタシはまだこの時もコレが未曽有の大水害だとは気が付いていません。
職場への連絡を同僚に任せ、ワタシは渡れる橋を探しに引き返しますが、下流側は全て通行禁止で大渋滞を引き起こしています。
「しゃーないなあ」と、地元民も滅多に通らない地図にも載ってないような川を渡れる場所を目指してジャバジャバとサファリを進めると、眼の前には絶句するような光景が。
「!!??!」
そこは既に以前の影もなく、それよりも川が凄い事になっています!
いつもは崖の下を右に緩やかにカーブして流れているだけで、水深だって深くて膝くらいの穏やかな清流なのです。
ところが今日は茶色の怒涛の流れが幕のように崖にせり上がって轟音とともに流れているのです。
まるでサーフィンでいう「チューブ」の超巨大バージョン。
「川が頭上を流れてる、、、」
ビビりました。そしてもっとビビった光景は、川岸にある民家から数人が家財の運び出し作業をしているのです。
いくらカーブの内側と言っても、遠心力で膨れたチューブの中へ居るのですからコレはヤバいと直感しました。

すぐ立ち入り禁止の看板をなぎ倒してサファリを突撃させると、その民家から荷物満載の軽トラが発進してきて並びます。
「誰ものこってないかあ!?」
「荷台の二人を乗せてくれ!」
すぐに荷台にいた二人をサファリへ乗せてそのままバックしますが、今頃ノコノコと来た消防車に道を塞がれてしまいました。

消防車の手前で方向転換をしていると、消防団と思しき兄ちゃんがやってきて、
「立ち入り禁止にはいるなああ!」と怒鳴っているのです。
事情なんて説明している場合ではないので、「その赤いのすぐどかせ!早く!」とセカします。
もうこっちも焦っているのでこんなバカに構ってられません。そいつが戻るより先に思いきって消防車に正面衝突させるつもりで急発進させます。
さすがにこちらの本意に気づいたのか、やっと目の前の現場の状況が解ったのか、まるでエビのように鬼バックする消防車。
安全な道に出たトコロで路肩に踏み外して消防車は完璧なスタックです。もちろんあまりに稚拙で間抜けなので助けません。

乗せた二人を降ろして再び渡れる橋を探しますが、もう下流側はどうやら全滅のようです。
もしかすると?と言う期待を込めて、山の方へ上がってみます。
夏場ですのでいつもは観光客で賑わう那須街道も、今日は倒木や飛んできたトタン等でさながら戦場のようです。
有料道路まで上がってみると、料金所のオジサンが頭上で×を上げています。
やっぱりだめかと思いましたが、意外なことを提案してきました。
「様子を見に行きたいんだけっど、ココ離れるわけにはいかねえし、あんた今日初めて通っから、通れたら下の料金所から連絡くんねーかあ?」
絶対に崖側を通るなと言われて、少々ビビりながらも有料道路を「公認タダ」で通行しました。
「途中軽微な土砂崩れが2か所あったけど問題なく通れました」と、下の料金所に着いて報告。
その時に初めて自衛隊出動要請が出たと聞きました。
そんな大惨事なのかと改めて思ったのですが、確かにもうココまで来ただけでも仕事や学校どころではないような荒れっぷりでした。
「コレが、災害ってやつかあ。」


そのまま山越えをして、お昼頃にやっと職場のある町内へたどり着くと、低い場所はあたりそこいらじゅう水没や床上浸水の家屋だらけです。
いやはや、これは、、、。
職場は無事でしたが電話線が寸断されたのかドコとも連絡が出来ません。携帯電話が唯一の手段のようですが待受けに出るのは「大変込み合っています」の文字だけ。
さらに情報が錯綜して、どこどこの橋が通れるようになったとか国道4号が流されたとかで凄い騒ぎです。
近所の様子を探りに行くと、唯一のコンビニの棚は菓子に至るまですべてソールドアウト。友人の家は1階が水没。川岸はもう壊滅状態で牛舎が崩壊しながら流れていました。
まだ復旧がどうのと言うよりは、どちらかというと災害まっただ中なのです。

朝渡れなかった橋を逆側から行くと、消防が渡り口を塞いでアリ一匹通さんぞとばかりにガンバっております。
時折強引に渡って行こうとする住民と小競り合いを起こしていますが、普段は雑草の影をチロチロ流れている橋の下の川は、欄干に届かんばかりの茶色の濁流に激変しているのです。
いつ崩壊してもおかしくないのでワタシなら渡る気さえ起きませんが、大勢の住民が分断されているらしく帰宅もままならずに橋の両脇に対峙しているような状況なのです。
橋が渡れないだけでこんなにも生活に支障が出るのかと、災害初心者は改めて気が付くわけです。


その日の夕方、職場近辺親戚知り合いの補給物資リクエストをまとめて、とりあえず朝来た有料山ルートで戻ります。
なんとなく勢いで我に返る暇もなくココまで過ごしてきましたが、いざ帰る段階になってふと急に不安になるものです。
雨はまだ強く降っていますし、朝通れたからと言って今大丈夫とは限りません。
しかし、何事もなかったようにいつもどおりの頼もしい漁船サウンドを響かせるサファリに乗っていると、不思議とそんな余計な不安は無くなってしまいます。


高速道路は通れるようだと知ったのはようやく繋がった携帯から四駆仲間の友人が教えてくれました。その夜はニュースをみた友人から一斉に電話が掛かってきて、一時個人的に「大変込み合っています」になっていました。
皆、ソレナリに心配してくれているのです。ありがたいコトです。
アパート1階の住民は四駆仲間でもあったので、もしもの水没に備えて家財道具を2階の我が家に運び込んで、こちらも「大変込み合っています」です。
テレビでは見慣れた光景が何度も繰り返し映されていて、ホントにココがまさしく被災地なんだと実感しました。
そのうち停電となりましたが、食事も風呂も済んだ後だったので助かった覚えがあります。


あけて二日目、まずは補給物資の買い出しです。
リクエストはカップラーメン等の非常食がメインですが、大きなモノは「除湿機」なんてのもあり電気屋にも赴きます。
荷役に向かない弐号機ショートサファリなのですが、さすがに乗用車よりはマシ。
この程度ならなんとかコナせます。
さすがに二日目ともなると山ルートにも慣れたものです。高速道路は渋滞と聞いて遠慮しました。
橋はいまだにドコも渡れません。


この日は役場のお手伝いも。
ナニやら各地の公民館にモノを運んでほしいとかで、サファリのフロントガラスに「災害復旧」と書かれた紙を貼られてしまいました。
スペアタイヤやお道具を下ろされて、代わりにカップラーメンの箱や毛布をドスドス積み込まれます。
言われたまま公民館に行くと決められた数も何もあったもんじゃあ無く、片っ端から寄ってタカって降ろされてしまいます。
皆乾いたものと食料に飢えてるのだと思って黙っていましたが、後日になって箱ごと家に持ち帰ったり、全く被害に遭ってない人までが毛布を持ち去ったりしてたと聞いてガッカリ。
クルマが空になるたびに何度も往復していたので、結構大変だったのです。

電気、水道、電話と全てのライフラインは寸断されています。
情報は当てにはならず、ダム決壊という超誤報まで飛び交う始末。
ワタシ的には眼の前のボンネットからは力強いTDサウンドが聞こえていますし、軽油もたっぷり残っていてまずは大丈夫といったところでしょうか。
知り合いのトラックが冠水した道路を渡ろうとして水を吸って止まってしまったようで、早速牽引。昨日今日で一体何台曳いたか既に覚えてません。
ふとサファリのライトを見ると、金魚蜂のように水が溜まっていました。
「お前も連日ご苦労様だなあ」と、労ってからストローで吸いだします。


友人の自宅も大変です。
裏の小さな川が氾濫して1階が完全水没。しかしなんとヤツは自前のカヌーで移動していたというから驚きです。近隣住民の渡し船にもなっていたようです。
ランクルのウインチで水没したクルマを引き出したりして、遊び達者なオフローダーはこんな時に便利なのですね。なんせライフラインが寸断されても、自前の道具で明かりも煮炊きも食事も出来るのですから。
もっともキャンプなんてライフラインが最初からある筈もないので、当然と言えば当然なんですけどね。
しかしこの家の土砂に埋もれた大量の家財道具を片付けるのは、親戚縁者友人ボランティア総出でも物凄く大変でした。


結局、この地区がかろうじて生活が出来るまでには1週間掛かりました。
その間、各地から救援物資や非常食がどんどん送られ、人の善意ってすげえなあと思っていましたが、その量はどう見ても供給過剰になりつつあるようです。
役場の廊下やロビーに所狭しと段ボールが積まれて配送を待っています。中にはナゼか「那須高原チーズケーキ」なんて洒落たものまであります。
中古衣類は特に人気がありません。
もう公民館に運んでもあまり喜んでくれませんし、持ち帰る訳にもいかず無理にでも置いてくる始末で、こちらも何だか残念な気分になります。


そうやって那須じゅうを縦に横に走った時に思ったのですが、非常時にこそニンゲンの本質が出るんだなあと改めて実感しました。
自宅がボロボロでも他人の家の復旧に行ってしまったりするアツい熱血漢も、わき目もふらず自宅だけ綺麗にして目の前の道路も近所もお構いナシな人もと様々です。
遠くから復旧ボランティアに来ている人もたくさんいました。本気でボランティアしたい!と思っている人も大勢いましたが、旅行気分とか思い出作りとかワケの解らない方も居なかったわけではありません。もっとも水没した便所の傍で腰まで浸かりながら作業するのは確かにキツイコトです。


そしてこの水害の傷跡も凄まじいものでした。
橋の欄干は無残に流され、残った橋脚には上流の家屋と思しき部材が大量にへばりつき、牛舎は牛とともに消え、牛は大量に死に、お年寄りを中心に尊い人命も失われました。
その死んだ牛の野焼き現場も通り掛かりました。ユンボで掘った穴に焼いた牛を入れて埋め戻すという悲惨な光景なのです。
彼らは牛舎に繋がれたまま水死した牛たちです。中にはもう牛舎がダメだと悟った酪農家が牛を全部離してしまったという”美談”もありましたが、それでも生きて回収できたのは僅かとのこと。
ナニが良くて悪いのかなんて、もはやこの光景と臭いの前では考えることさえ無意味です。


あれから11年も経ちましたが、各地で起きている災害はさらにエスカレートしてきているように感じてなりません。
「土石流」なんて、聞き慣れなかった言葉が今では定着してきています。
当時、那須の水害の時も、山側のスキー場や分譲地開発で樹を切り倒して山そのものの保水力を失ったからだと騒がれていました。
河川はコンクリートでキッチリ護岸されて染み込む隙間すら無く、巨大なU字溝と化した場所はひと雨降れば鉄砲水のごとき勢いです。
毎年「ゲリラ豪雨」と称される短時間に降る雨はどんどん強くなっているようにも思われ、今年もまた多くの被害を出しています。

温室効果が、二酸化炭素がと言われてますが、直接の原因としてワタシは河川の改修工事のあり方も大問題だと思っています。
山に入ると実感しますが、誰も来ないような山奥でも巨大な砂防ダムが突如出現したりしてビックリしますよね。もしコレが決壊したら溜めに溜め込んだ土砂で下流は大惨事になるでしょう。
また土砂は周りの地形も削り取ってさらに土砂を呼びます。その土砂が次の砂防ダムを襲い、さらに決壊し、太り、被害は広がるばかりですが、この工事を発注した自治体も土建業者も罰せられることはありません。
そりゃそうですよね、この手の工事はお互いの利益の為、発注受注する事に意義があって、ホントのトコロ、求めるモノは機能ではないからです。
なのでイイワケのような取って付けた設置理由が付加され、もっともらしい「住民の安全をうんたら~」という一文が追加されるのです。
無駄な税金で無駄な公共事業を行い、無駄に災害を引き起こしていてるんじゃねーかとワタシは考えてますが、こーいう問題はなかなか伝えることが難しいですね。
その土建業の隅っこにぶら下って生きているのも事実ですし。


那須の水害は、現在では傷跡もすっかり消え去りました。
広く綺麗になった河川の敷地には、水害前と同じようにチロチロと申し訳程度の流れがあるだけです。
しかしよく見ると柱脚にある水位表示には、当時の水害の水位が赤字で書かれていたりします。
頭上はるか上の欄干に届きそうなトコロまでになったんだと思うと、今クルブシを濡らす程度の流れがにわかに信じられません。

教訓よりも備えよりも何よりも、ホントにまたあのような災害が起こらないことを祈るばかりです。
そして今度のサファリはロングのガソリンエンジンなんで、あの頃より物資は積めても水には強くありません、、、。ホント、祈るばかりです。


余笹川水害
水が退いた後の余笹川です。柱脚に堆積した付着物が物語っています。


余笹川水害2
破壊された橋です。落雷のような凄い音がしたそうです。





黒川水害



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  1. 2009/08/06(木) 16:52:07|
  2. 組長社会にモノ申す
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:9
<<妻とあぶりをやりました(爆) | ホーム | バーディ号里帰り>>

コメント

最近増えましたねこの手の災害が・・・。この数年梅雨になると必ず日本の何処かで豪雨による犠牲者が
でている気がします。自分が小さい頃こんなにあったかな?と思います。
実家の九州は熱帯性のスコールのような雨が降ると親が言ってました。色々と変わってきているのですね。
去年は金沢で浅野川が氾濫し大変なことになりました。観光地の東山もその影響を受けました。
このような非常事態のときにとっさの判断や勘が運命を左右する事がありますね。
心構えと備えが必要になってきたのですね。
  1. 2009/08/06(木) 17:21:40 |
  2. URL |
  3. くろちゃん #-
  4. [ 編集]

私が栃木に来たのが・・・

98年の暮れの11月でした。
なので、まったくこの件は知らないのです。
近所の農家の方が時々話されているのを聞きましたが、
写真でみたのは初めてでした。

私は、まだ、自分自身が災害に直面した事が無く
すべて、情報だけです。

なので恐らくまだ、何処か災害を甘く見ているかも知れません。

このような情報を見て、聞いて少しでも心積もりをしておかなくてはいけませんね!

静岡、天竜川の有名なサファリストの方がいつも総会で、
災害時には必ずこの四駆が役に立つからと言われ、
荷室には、普段の小道具プラス、教えの斧とのこぎりを積んでます!

燃料も常に満タンに!は、最近は守っていません。
明日、満タンにしてしておこうかと今、思いました。

いざとなれば、うちにはボートもありますので、やはり整備しておかなくては・・・

もしかすると、その水害で西川峰子の別荘が流されたのですかね?
  1. 2009/08/06(木) 18:44:37 |
  2. URL |
  3. 路駆丸 #hEMd9J4w
  4. [ 編集]

熱帯化ですかね

くろちゃんさん日本は遂に熱帯雨林気候になったんですかね。
地理の地図が変わる日も遠くないですね。
ただ、確実に年々土の地面と樹木は減っていますので、気候だけが理由ではないとは思います。

  1. 2009/08/06(木) 19:51:55 |
  2. URL |
  3. くみちょ #-
  4. [ 編集]

もう11年前になるんですね

災害って遭わなければ問題はないコトですけど、遭わねば学べない実践的な教訓もあるようです。
あの時サファリは確かに役立ちました。ただ、それはウインチや特別なレスキュー道具ではなく、マッドタイヤを履いた車高のある四駆であることと、エアコンが効いて快適に移動できる空間であることでした。
泥の積もった舗装路はMTタイヤでないと走れませんし、ずぶ濡れの身体を乾かすにはエアコン+ヒーターが効果的でした。
本格的なレスキューは自衛隊に任せた方が良いです。
さすがに装備も訓練も段違いです。

西川峰子さんの別荘が流された時、下流で貴金属が発掘されたとデマが飛んで笑えました。
  1. 2009/08/06(木) 20:04:15 |
  2. URL |
  3. くみちょ #-
  4. [ 編集]

確かに多いですね、最近。
昔は台風による大雨で、ってのが多かった気がしますが、
近頃は集中豪雨によるものがほとんどな気がします。

幸いにも、自分は洪水に直面したことはありませんが、
ほんと、次はいつ自分のところにやってくるかわかりませんね・・・

自分がサファリ含め四駆に乗るのは、「いざ」と言うときに頼もしい味方になってくれるから、ですね。
いざというときなんてそうそう無い・・・とも言われますが、、、
でも仕事柄、乗用車やライトバンで進めないときにも現場まで行かなきゃならないときもあるでしょうし・・・
一昨年、震災派遣で新潟の柏崎に派遣されたときも痛感しました。
地震動でゆがんだ道でも、四駆なら進んでいけるし・・・

砂防ダム・・・この国の予算配分は、不必要なモノにはたっぷりと、
必要なものにはスズメの涙、ですからねぇ・・・
おっと、仕事柄これ以上は(略)で(笑)
  1. 2009/08/07(金) 01:58:57 |
  2. URL |
  3. ちっち #aa0nrIO.
  4. [ 編集]

仕事柄

ちっちさんはヨンドコロナイ所のご職員だったですね。
お勤めご苦労様です。うちの奥様もそうだったりもします。

イザと言う時の四駆は、やはりそーいうご職種の方に乗っていただきたいですよね。
公用車としてバリバリのクロカンサファリを用意すべきですよ(笑)。
  1. 2009/08/07(金) 07:52:13 |
  2. URL |
  3. くみちょ #-
  4. [ 編集]

思い出されます・・・。
川から離れた町中でさえ道路は氾濫し、あちこちに乗り捨てられた車が放置されていました。
会社から自宅に帰るのさえ大変でした。
大好きな釣り場だった余笹川に水害後に訪れると、「いったいココは、ドコデスカ?」と自分の目を疑うほどの状況でした。
あれから 11年、はやいものです。

くみちょさまはシュノーケル必須ですね。


  1. 2009/08/08(土) 01:02:46 |
  2. URL |
  3. Peg #IRe6w8zE
  4. [ 編集]

はじめまして。ずっと前の日付の記事にコメント失礼いたします。
当時、直撃を受けた地域のひとつに住んでおりまして、自宅は被害がなかったこともあり、対策本部のお手伝いに子供ながら毎日通っていました。
対策本部がおかれてた地区だったからなのですが。
記事拝読しまして、行政の記録だけではない、生の、人の目で見た主観のある記録もたくさん残していった方がいいのでは、と漠然と考えていたことに確信を得ました。
こんなに時間がたってから、自分がショックを受けてたことにも気づきました。
災害に大小はないですね。東日本大震災も那須水害も私の中では同じ風景でした。
混乱も、助け合いも。
こうして記事に残してくださり、ありがとうございます。
  1. 2015/03/12(木) 23:20:42 |
  2. URL |
  3. かな #-
  4. [ 編集]

こちらこそありがとうございます

かなさんコメントありがとうございます。
当時は水害後の普及作業も大変でしたが、現在はキレイに元通り以上になっていくと徐々に記憶も薄れていくものだなと感じております。
こうやって記載しておくとワタシ自身の忘備録にもなりますし、また当時を振り返ることもできます。
東日本の時も地震発生時から咄嗟に行動出来のも、那須水害の教訓が生かされていたのかもと思う時があります。
また当時の我が社の対応の遅さや我が身さえ、、という方針に多大なる落胆を覚えたのも、また水害の教訓だったかも知れません。
また気になる記事がありましたらドンドンコメントを下さいね。
ありがとうございました。


  1. 2015/03/16(月) 09:47:55 |
  2. URL |
  3. くみちょう #-
  4. [ 編集]

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プロフィール

ロクノニくみちょう

Author:ロクノニくみちょう
愛車日産サファリY60と、それにまつわる悲喜コモゴモな出来事を赤裸々に曝け出す西高東低の意味なしブログです(笑)。
”組長”(注1)と呼ばれる問題児が見た社会や、彼の偏った価値観をモザイク無しの直球勝負で書き綴る、不良中年現在進行形の異常日記でございます。
尚、ご覧になる貴方の人生になんら足しにはならないので見過ぎに注意し、必ず食後に1アクセス程度を心掛けてください。
またサファリ関連だと思ってもまるで参考にもならないので、真似をすると貴方の愛車の健康を著しく損なう恐れもあります。


(注1)組長とは、説明しよう。
t県はy市y張のアレ○クラー弓張という某所にて、公開秘密結社6年2組という世界征服と環境保全(爆)を目的としたチームを営んでいる、というコトもあったけど今はホームコースの閉鎖で休業中。
元走り屋今路外屋。残念ながら既婚。メタボからメタボ気味に改善後、再びメタボになりつつあったのでちょっと反省し再び改善中。某企業の某設計屋をやりつつ悪だくみも兼務で以下ゴニョゴニョ。
最近会社では”戦車持ち”なことが有名になり、他拠点からの目撃情報が本社の話題なるほどである。

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